貞繁一。1955年、大阪市生まれ。実家は九条の魚屋。
喫茶店をやろうと修業。
(今でもコーヒーとスパゲティ・ナポリタンは得意)
23歳で、父親が急死。弟と2人で魚屋を継ぐこと2年半。
魚屋を弟に任せ、夢であった自分の店を開こうと、
居抜きの居酒屋を見つける。
これが、現在の店の場所で、5坪の元焼き鳥屋。
魚を見る目には自信があるが、料理をしたことがなかったので、
内装工事の間の1ヶ月間、居酒屋で修業。
1981年4月9日、『う越貞』オープン。
カウンター8席のみ。
お客ひとりがお手洗いに行くのに、
皆が席を立たないといけない狭さ。
冷蔵庫は家庭用だった。
魚メインの居酒屋で、表には赤提灯が下がり、
「魚屋出身の大将の店」といわれていた。
魚は弟から仕入れ、和歌山の港に揚がったものがほとんど。
造りや焼き物、煮物、天ぷらなどを出していた。
9年経った1990年。
お客のひとりであったグラフィックデザイナー氏に
「店を流行るように改装してくれへんかなあ」と依頼。
赤提灯を取っ払い、暖簾を変え、ロゴマークを作ると、
女性客も来るようになった。
ちょうどその時、隣でおばあちゃんがやっていたごはん屋が閉店。
店を広げ、カウンター9席(現在は8席)と
小上がりのスタイルになる。
カウンターには赤と黒のお敷を並べていた。
魚はずっと弟の店から仕入れていた。
ある日、九州から来たお客が
「関西の魚は新鮮だが、生臭い!」と言うのを聞いて、
「そんなに魚が違うのか?」と思い、
魚の新しい仕入れ先を開拓し始めた。
とびこみで魚屋に入っても、いい魚を売ってもらえず、
くやしい思いをしたことも。
めげずに、こまめにルートを開拓。
「修業をしていない一匹狼だからできた」
仕入れは今も必ず自分で出かける。
「いい魚がなかったら絶対に買わない!」
そして、魚の熟成に気づき、
こだわりの魚だけをお出しする今のスタイルになる。
貞繁一は、魚についても、料理に関しても、全くの独学。
ひたすら、真面目に魚とむきあってきたが、
まだまだ、今の状態に満足しているわけではない。
「こんな魚、食べたことがない!」と
お客が感激するのを何よりの喜びとしているのだ。
「今、自分が美味しいと思う魚をお出ししています。
これからも、魚の美味しさを追求して、
日々、成長していきたいと思っています」